― 希望か幻想か?あなたの免疫は、何を求めていたのか?
【序章】“効いた”という言葉に隠された、もうひとつの問い
2020年、世界がウイルスに揺れていた頃。
一つの薬が静かに、しかし熱狂的に注目されました。
その名は、イベルメクチン。
- 日本人が発見した「奇跡の薬」
- アフリカの風土病を制圧したヒーロー
- そしてコロナ禍では、「ワクチン以外の希望」として祭り上げられた
「イベルメクチンは効いたのか?」
そう問う前に、私たちはもっと根源的な問いを見逃してはいないか?
そもそも、“効く”とはどういうことか?
それは、免疫が本当に望んだ作用だったのか?
この記事では、薬の効能を超えた「免疫の語り直し」を行います。
イベルメクチンを巡る光と影を、メタ認知のレンズで再構成し、あなた自身の免疫との関係性を見つめ直す試みです。
【第1章】イベルメクチンの真実:科学と信仰のあいだで
- 1970年代、大村智博士によって発見
- 強力な抗寄生虫作用を持ち、世界3億人以上を救った
- ノーベル生理学・医学賞を受賞(2015年)
この栄光の歴史が、「イベルメクチン=人類を救う薬」という物語を生み出しました。
しかし、コロナ禍では事情が変わります。
- 一部の臨床では「効果があった」との報告
- SNSで「使えば助かる」という証言が拡散
- WHO・FDAは「推奨しない」と明言
こうして、イベルメクチンは希望と分断の象徴へと変貌していったのです。
【第2章】効いた人と、効かなかった人の違いは「免疫の地図」
ここで重要なのは、“効いた”という体験の背後にある構造です。
- なぜある人には効いたと感じられ
- 別の人にはまったく変化がなかったのか?
そこには、免疫の“前提条件”があります。
- 腸内環境の状態(70%以上の免疫が腸にある)
- 自律神経のバランス
- 睡眠・ストレス・食習慣
- 感情とホルモンの相互作用
つまり、薬の作用は、受け取る側の準備状態=“免疫の地図”によって決まるのです。
これは「効果が個人差に依存する」というより、
“免疫がその薬をどう扱うか”というプロセスの問題なのです。
【第3章】メタ認知で読み解く:あなたの“治癒観”は誰に植え付けられたのか?
メタ認知とは、自分の思考・判断・信念を「一段上」から観察すること。
ここで自問してみましょう。
あなたが「効いた」と思った瞬間、
それは本当に免疫の力だったのか?
それとも「効いてほしい」という物語の力だったのか?
イベルメクチンは、薬理的な効果と同時に、
- 不安を和らげる安心感
- ワクチンや政府への反発からくる信頼感
- 医療の不透明さに対抗する“自己選択感”
といった、心理的な作用をもたらしました。
これはプラセボでも錯覚でもありません。
「自分が選んだ」という実感が、免疫を動かす引き金になるのです。
【第4章】鍼灸との共鳴点:「信じること」が免疫に与える力
鍼灸もまた、「エビデンスが乏しい」と言われる領域にあります。
しかし近年、以下のような研究が注目されています:
- 鍼刺激により、迷走神経反射が活性化 → 免疫調整
- 経絡刺激で、サイトカインバランス(炎症物質)に影響
- 触圧覚による、オキシトシン分泌 → 免疫・情緒安定
これらは、科学で測れる“効能”の一部ですが、
真価は「施術を通じて身体とつながる感覚が戻ってくること」にあります。
つまり鍼灸も、イベルメクチンと同様に、“治療”ではなく“気づき”のプロセスを促す手段なのです。
【第5章】“治す”から“共に生きる”へ:免疫というパートナーシップ
コロナ禍以降、世界中で「治療のあり方」が問い直されています。
- 薬に任せるのか
- 体に任せるのか
- 両者をどう調和させるのか
イベルメクチンの議論は、決して薬単体の問題ではありません。
それは、「私たちはどのように回復しようとしているのか?」という医療哲学の問いなのです。
鍼灸を含む東洋医学は、この問いに対し、こう答えます。
「治す」とは、“自分の中にある治癒力と、どう手をつなぐか”という行為である。
薬も鍼も手段にすぎません。
主役は、常に──あなたの免疫そのものです。
【まとめ】
イベルメクチンは、「効いた」「効かない」という単純な話ではなく、
私たちが“何を信じ、何に身体を委ねてきたか”を可視化させた鏡だったのかもしれません。
- 免疫は、感情・思考・習慣とつながっている
- 薬を信じることも、体を信じることも、二項対立ではない
- 必要なのは「免疫と日々、静かに対話する感性」
その感性を取り戻す手段の一つが、鍼灸です。
補足:私はイベルメクチンを海外から個人輸入してここ5年間で100錠以上、服用してますが実感としては体調も良くウイルス性の疾患にも罹患していません。あくまでも、個人の体験です。
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