医療の“善意”が免疫を弱らせるとき、何が起きているのか?
【はじめに】
あなたの体は、治りたがっているのに、なぜ“治療”が止まらないのか?
「この薬を飲み続けてください」
「念のために、もう一度検査しましょう」
「定期的な通院が大切です」
医師からの言葉は、安心感をくれます。
でも、ある日ふと、気づくのです。
「いつから自分の体の声より、処方箋の方が信じられるようになったのだろう?」
本記事のテーマは「医原病」。
それは、医療の中から生まれる病気。
でも本質は──“善意”が免疫の働きを奪ってしまう、静かな支配構造なのです。
【第1章】医原病とは何か──“治す力”の不在から始まる病
「医原病(いげんびょう)」とは、
医療介入が引き起こす新たな病状・機能障害・心因性悪化を意味します。
- 抗生物質で腸内環境が崩壊し、免疫が低下
- ステロイド使用で自己修復力が抑え込まれる
- ワクチン副反応で慢性炎症が長引く
- 医師の何気ない一言で「私は病人だ」という思い込みが強化される
こうした病態は、「治療ミス」ではありません。
“善意に満ちた正当な治療”の中で静かに進行していくのです。
【第2章】なぜ、医療の善意が免疫を鈍らせるのか?
免疫とは、本来“自分で出会い、感じ取り、反応する力”です。
熱も咳も湿疹も、免疫が働いている証拠。
それを薬で止めると、症状は消えても、免疫の経験値はゼロになります。
例えば:
- 発熱は、免疫が戦っている“火”。
- 解熱剤で下げれば、敵も味方も見えなくなる。
- 治癒ではなく、ただ“戦場を凍結”させたに過ぎない。
こうして、免疫の学習機会が奪われる。
さらに、“治療を受け続けている”という安心感が
「私は自分では治せない存在」という無意識の刷り込みを強化します。
これが、メタ認知的に見る「免疫機能の脱学習化=医原的退行」です。
【第3章】メタ認知で読み解く:「治しているつもり」が陥る罠
ここで一つ問いを立ててみましょう:
あなたの体は、何に一番支配されていますか?
・病気?
・不安?
・医療システム?
・それとも「治してあげる」という他者の善意?
メタ認知とは、自分の信じている構造を一段上から眺める力です。
この視点を持てば、「医原病」は単なる副作用ではなく、
自己決定権の崩壊現象として浮かび上がります。
【第4章】鍼灸マッサージという“介入しない介入”が免疫を蘇らせる理由
鍼灸は、薬を使いません。菌も投与しません。細胞も操作しません。
ただ、「微細な刺激」だけで体の流れを整えます。
ではなぜ、鍼灸が免疫を整えると言えるのでしょうか?
🔸 身体感覚を呼び覚ます → 自律神経が整う
🔸 皮膚刺激 → マクロファージやT細胞が活性化
🔸 腹部の刺鍼 → 腸管免疫が調整される
🔸 五感を刺激 → “体の自己帰属感”が蘇る
ここにあるのは、「症状を抑える」のではなく、
症状を“通じて整える”という哲学的介入です。
鍼灸は、免疫にこう問いかけます:
「君はまだ、戦えるか?それとも、休みたいか?」
──そして、免疫は“自分で決める”。
【第5章】医療の時代から、「共療(きょうりょう)」の時代へ
21世紀は、医療が高度化する時代ではなく、
医療と免疫が“対話する時代”でなければなりません。
- 医師は“答え”を与えるのではなく、“問い”を共有する存在へ
- 患者は“受け手”ではなく、“自ら調律する存在”へ
- 鍼灸師は“中間支援者”として、免疫の通訳者となる
これは「非科学的な代替療法」ではありません。
むしろ、「過剰な医療科学に取りこぼされたものを、東洋的視点で再接続するケア」なのです。
【まとめ】医原病とは、「信じすぎた結果」起こる、静かな免疫の失語症
- あなたの体は、医療に“奪われた”のではない
- “委ねすぎた”ことが、治癒の選択肢を狭めただけ
- 治す力は、あなたの中にいまもある
免疫とは、「自分で生き抜こうとする知性」です。
医療の恩恵を受けつつ、免疫の学びも尊重する。
そのためには、医療の善意を一度“俯瞰”する勇気が必要なのです。
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